空気を揺らす

先日「リズと青い鳥」を見納めてきました。(もしかしたらあと一回ぐらいいくかもしれないけど…)結局、四回見に行ったのかな?ひとつの作品を劇場でこんなに見ることはなかったので、不思議で、新鮮な体験でした。

 

せっかくなので感想を書こうかな〜と思ったのですが、ここのシーンがいいとかここの音楽がいいとか言ってると本当にキリがないので、ぼんやり、考えたこととかを書こうと思います。

 

劇場に足を運ぶたびに「この言葉を、彼女はどう思いながら発していたのだろう」ということは何度も考えていました。「希美は、練習、が好き?」「どしたー?」「みぞれのオーボエがすき」…それぞれに込められた思いは、一度見ただけではわからない部分も多くて、目をこらすように、じっと聞いていました。考えれば考えるほどわからなくなってくることもありました。

でも、そもそも、感情って自分ですらわからないものだなというところに最終的にはたどり着きました。

私も、日常の中で、言葉を発して、表情を作って、過ごしていますが、例えば急に「この言葉はどういう感情で言ったの?」なんて言われても多分答えられない。それらしいことは言えるかもしれないけど、それは多分、あってるけど間違ってる。

感情って、まだらというか、例えば「怒り」ひとつとっても、そこには悲しみが含まれていたり喜びが含まれていたりする。そこを切り取って、取り出して、名前をつけることは難しい。

すごーく昔に読んだ話なんですが、言葉はそういう風に世界を切り取ってしまう側面がある、と書かれていました。冷水と熱湯は「冷水」「熱湯」という言葉ができたことにより、分断されてしまった。元々は同じ「水」でしかなかったのに。

(これが何か学術的な根拠があるかは、まぁ、わからないですが)

それと同じで、感情を取り出して、名前をつけてしまうと、それは少し違うものになってしまうし、ラベルに書ききれないものが出てくるのではないか、なんて思いました。

 

とはいえ、決して「この言葉に込められた感情はなんだろう」と考えることがナンセンスだとか、意味がないだとか、そういうつもりではないです。それはとても大切なことだし、現に私も、そう考えながら観たことで作品を楽しむことができました。

 

みぞれはどんな気持ちで希美を見つめていたのか。

希美はどんな気持ちでみぞれを見つめていたのか。

私たちにわからない部分も、本人たちにすらわからない部分もきっとあるのだと思います。ただ、取り出して名前をつけられないとしても、ちゃんと気持ちはそこにあって、空気を揺らす。

 

まだわからないことも、気がつけていない部分もあると思うので、DVDの発売が待ち遠しいです。31のアイスクリームを食べながら観たい!

 

 

 

きゃっきゃうふふ

いろんなものの感想を書いてたブログにログインできなくなってたのでこっちにうつってきました!

 

『ちいさい百合みぃつけた』を読みました。

 

最近、百合が気になっていまして。ダ・ウィンチの百合特集からたどり着きました。

『きゃっきゃうふふ』の時点でニヤニヤとふわふわとムズムズが止まらなくてのたうちまわってしまいました。かわいい!かわいい!かわいいっていうのは、そこで描かれている百合がかわいいのはもちろん、著者である彩奈さんがとてもかわいらしくて…!「ほんとは抱きつかれたいけど恥ずかしくて言えない」かわいい!そしてわかる!
このムズムズ感、何か覚えがあるなと思ったんですが、とても大切な女の子にとある真剣な話をされたときの感覚だなあ、と。わたしはその女の子がとても好きで、憧れてもいて、そんな子がわたしに真剣な話をしてくれたことがたまらなく嬉しかった。話の内容は、とても喜べるような幸せなものではなかったけれど、その子が、きっとたくさんのひとには教えていないであろう大切な感情をわたしに教えてくれたことがとても嬉しかった。

例えば『きゃっきゃうふふ』には、親友との素敵なひとときが描かれています。でもきっと、ここに書かれているようなときめきのことを、彩奈さんは親友には直接、語らなかったのではないかと思うのです。それがここにはある。読者のわたしは、彩奈さんのときめきを知っている。それが、とてもくすぐったくて、ふわふわして、とても嬉しい。

不思議な本だと思います。本として出ている以上、わたし以外のたくさんの誰かもここに書いてあることを知っている。でも、なんだか「わたしだけ」のような気がするのです。

なんだか恥ずかしい感想ですね…。ほんとうのことなのですけれど…。

わたしが好きだったのは『あなたを待つ箱の中で』マンションの一室、鍵、警報、一人きり。仄暗くて好きです。最後にパッと日常に戻っていくのが好き。『ラムレーズンの可能性』も好きですね。校則なんてもの、大人になったらないですもん。期間限定のドキドキです。

あと『こぼればなし』の『きゃっきゃうふふ』の部分も好きで…わたし『きゃっきゃうふふ』好きですね。好きです。「わたしだけが、そう思ってたんだなあ」の寂しさ。胸がきゅうっとなります。

字数余るので、百合の話しますね。わたしの好きな百合ってなんだろうなあと、改めて考えたんですが、もしかするとわたしは「女に恋をする女」が好きなだけかもしれないなと(百合の話じゃないじゃん!)ここ最近でクリーンヒットしたのは『ボールルームにようこそ』の千夏と明。千夏に恋をして、千夏と踊りたいから踊り続ける。千夏と別れてからも、千夏に絡みたくて踊る、明。ダンスに人生を、命をかける登場人物たちの中で、そんな明はひどく浮いている。でも、わたしはそんな明が大好きでした。明のどこにもやれない、重たくて、湿った感情が大好きでした。でもこれって、千夏と明の関係が、というのとはまた違うと思うんです。ああ、百合って難しい!あと好きなのは『ハッピーシュガーライフ』のさとうとしお、『ずっとお城で暮らしてる』のメリキャットと姉、『WIXOSSーselecter-』の千夏とメル。強くて、弱くて、傲慢で、恋ばっかりな女の子が大好きです。

百合が気になるなあという、気持ちで読んだのですが、読んで良かったです。とても奥深い百合の世界の入り口を覗き込むことができました。4月の百合展大阪が楽しみになりました。
ダ・ウィンチの百合特集でも、気になる作品がいくつかあったので、読んでみようと思います。『やがて君になる』が気になる!

ドリフェス!と私 

好きな人に好きだと言えない人間でした。

と書くと、多少誇張があるのですが、好きな人に好きだと伝えることが苦手な人間ではありました。私なんかが好きだと言ったら迷惑になるのではないか、応援してるつもりで傷つけてしまったらどうしよう、自分の言葉が重荷になったら、そんなことばかりを考えていました。今思えば、あまりにも過剰な自意識過剰です。そして失礼。お前の好きな人はそんなに弱い人間なのか、そんなに心が狭い人間なのかと、過去の自分を小一時間問い詰めてやりたい。でも、当時の私は本気でそう思っていました。
そんな私を変えてくれたのがドリフェスでした。

 

ドリフェスは、エールが力になるのだと示してくれました。
応援してくれてありがとう、と言葉だけでなく、ステージでそれを示してくれました。

エールに、ありとあらゆる形で応えてくれました。

 

応援が迷惑だなんて思ったことはないと、言葉にしてくれたひともいました。

 
誰かに何かをはたらきかける以上、当然、それに対する反応が発生します。それが、私は怖かった。もし、マイナスな反応が帰ってきたらどうしようと、そればかりを考えていた。
重ねてになりますが、本当に失礼ですねこいつ!私が好きになった人が、人たちがそんなことするわけがないのに。あとやっぱり自意識過剰。

こんな自分勝手でどうしようもない思いは、ドリフェスが変えてくれました。ドリフェスを好きになって、応援したら自分が傷つくかもしれないなんて、そんなことは考えなくなりました。当たり前のことですが、彼らがそんなことをするはずがないし、たとえそうだとしても(たとえですたとえ)どうでもよかった。ただひたすら、彼らのことを応援したい、彼らの力になりたい。そう思いました。
もちろん、迷惑かもしれない、などという思いも確かにありました。でも、彼らはそんなこと一言も言わなかった(当然といえば当然なんですが)だから、そのまま、応援ありがとうと笑ってくれる彼らを信じようと思いました。思えました。それを信じられるような姿を、彼らは見せてくれました。

書いていて、どれだけマイナス思考なんだ…となっているんですが、こんな単純で、当たり前のことが、ずっとわからずにいたんです。ドリフェスが、全部教えてくれたんです。

 

初めて参加したイベント、ファンミ02のことを、いまでも覚えています。輝きが溢れるステージを見て、このプロジェクトを応援したい、そう強く思いました。自分の声ひとつ、ペンライト一本、そういうものが少しでも力になるのなら、いくらでも応援したいと思いました。

 

何より、応援することが純粋に楽しかった。楽しかったんです。本当に。

 

先日、アプリとDCDのサービス終了と、ファイナルライブの告知がされました。いつか終わりは来ると覚悟していましたが、ショックというか、理解が追いついていないのが現状です。
キャストが覚悟を決めて、直接伝えてくれたことだから受け入れたいと思うけれど、やっぱり悔しいし、諦めきれないとも思います。
例えば、武道館。本当に、本当に悔しい。これはひねくれた見方なのかもしれませんが、私には「最後だから」武道館のように思えます。もちろん、武道館でライブなんて、実力がなければできません。それはわかっています。それでも、「最後」じゃなくても、彼らなら絶対に武道館に行けたし、その先にだって行けた。そう信じるからこそ、悔しくてたまらないし、これを最後にしたくないとも思います。
それに、やはり生放送でのキャストの表情が忘れられません。

 

先日、ツイッターの鍵を開けました。
鍵をかけていたのには色々理由があるのですが、エゴサが怖いというのが大きな理由でした。でも、いまは、自分のツイートひとつでも、うっかり彼らの力になっちゃったりしないかな、と思って鍵を開けています。まぁエゴサしてくれるかもわからないし、そもそも私のツイートに目を留めてくれる保証も、それが力になる保証もどこにもないんですが!大したこともツイートしてないしね!
でも、私は他のファンの方のツイートやブログにかなり救われたので、案外バカにならないんじゃないかなと思います。そう思いたいです。

 

ドリフェスは私に、好きな人を信じることを教えてくれました。応援は必ず好きな人の力になるのだと教えてくれました。応援の楽しさを教えてくれました。だから、いまは、信じて精一杯応援します。

 

このブログも、うっかり誰かの力になったらいいなと、そう願っています。