ドリフェス!と私 

好きな人に好きだと言えない人間でした。

と書くと、多少誇張があるのですが、好きな人に好きだと伝えることが苦手な人間ではありました。私なんかが好きだと言ったら迷惑になるのではないか、応援してるつもりで傷つけてしまったらどうしよう、自分の言葉が重荷になったら、そんなことばかりを考えていました。今思えば、あまりにも過剰な自意識過剰です。そして失礼。お前の好きな人はそんなに弱い人間なのか、そんなに心が狭い人間なのかと、過去の自分を小一時間問い詰めてやりたい。でも、当時の私は本気でそう思っていました。
そんな私を変えてくれたのがドリフェスでした。

 

ドリフェスは、エールが力になるのだと示してくれました。
応援してくれてありがとう、と言葉だけでなく、ステージでそれを示してくれました。

エールに、ありとあらゆる形で応えてくれました。

 

応援が迷惑だなんて思ったことはないと、言葉にしてくれたひともいました。

 
誰かに何かをはたらきかける以上、当然、それに対する反応が発生します。それが、私は怖かった。もし、マイナスな反応が帰ってきたらどうしようと、そればかりを考えていた。
重ねてになりますが、本当に失礼ですねこいつ!私が好きになった人が、人たちがそんなことするわけがないのに。あとやっぱり自意識過剰。

こんな自分勝手でどうしようもない思いは、ドリフェスが変えてくれました。ドリフェスを好きになって、応援したら自分が傷つくかもしれないなんて、そんなことは考えなくなりました。当たり前のことですが、彼らがそんなことをするはずがないし、たとえそうだとしても(たとえですたとえ)どうでもよかった。ただひたすら、彼らのことを応援したい、彼らの力になりたい。そう思いました。
もちろん、迷惑かもしれない、などという思いも確かにありました。でも、彼らはそんなこと一言も言わなかった(当然といえば当然なんですが)だから、そのまま、応援ありがとうと笑ってくれる彼らを信じようと思いました。思えました。それを信じられるような姿を、彼らは見せてくれました。

書いていて、どれだけマイナス思考なんだ…となっているんですが、こんな単純で、当たり前のことが、ずっとわからずにいたんです。ドリフェスが、全部教えてくれたんです。

 

初めて参加したイベント、ファンミ02のことを、いまでも覚えています。輝きが溢れるステージを見て、このプロジェクトを応援したい、そう強く思いました。自分の声ひとつ、ペンライト一本、そういうものが少しでも力になるのなら、いくらでも応援したいと思いました。

 

何より、応援することが純粋に楽しかった。楽しかったんです。本当に。

 

先日、アプリとDCDのサービス終了と、ファイナルライブの告知がされました。いつか終わりは来ると覚悟していましたが、ショックというか、理解が追いついていないのが現状です。
キャストが覚悟を決めて、直接伝えてくれたことだから受け入れたいと思うけれど、やっぱり悔しいし、諦めきれないとも思います。
例えば、武道館。本当に、本当に悔しい。これはひねくれた見方なのかもしれませんが、私には「最後だから」武道館のように思えます。もちろん、武道館でライブなんて、実力がなければできません。それはわかっています。それでも、「最後」じゃなくても、彼らなら絶対に武道館に行けたし、その先にだって行けた。そう信じるからこそ、悔しくてたまらないし、これを最後にしたくないとも思います。
それに、やはり生放送でのキャストの表情が忘れられません。

 

先日、ツイッターの鍵を開けました。
鍵をかけていたのには色々理由があるのですが、エゴサが怖いというのが大きな理由でした。でも、いまは、自分のツイートひとつでも、うっかり彼らの力になっちゃったりしないかな、と思って鍵を開けています。まぁエゴサしてくれるかもわからないし、そもそも私のツイートに目を留めてくれる保証も、それが力になる保証もどこにもないんですが!大したこともツイートしてないしね!
でも、私は他のファンの方のツイートやブログにかなり救われたので、案外バカにならないんじゃないかなと思います。そう思いたいです。

 

ドリフェスは私に、好きな人を信じることを教えてくれました。応援は必ず好きな人の力になるのだと教えてくれました。応援の楽しさを教えてくれました。だから、いまは、信じて精一杯応援します。

 

このブログも、うっかり誰かの力になったらいいなと、そう願っています。